『大森寺』第35回フォトコンテスト入賞 撮影:臼井設備 臼井 康之 氏

『大森寺』第35回フォトコンテスト入賞 撮影:臼井設備 臼井 康之 氏

かわいい草花

クレロデンドルム・ウガンデンセ

水野 博子 氏 (安井管工業㈱)
水野 博子 氏 (安井管工業㈱)

 原産地は東アフリカのウガンダなどである。霜の降りない地域に生育し、高さは3メートルほどになります。枝先に集散花序をつけチョウチョウに似た花を横向きに咲かせます。花冠は5つに裂け脇につく4枚の裂片の色は淡い。真ん中の裂片は濃い青紫色で内側に巻いて袋状となる。英名はブルーバタフライブッシュという。

会議コーナー

定 例 理 事 会

1.開催日時   9月1日(水)

           午後3時

 

1.開催場所   水 道 会 館

 

1.理事定数   17名

 

1.出席理事   17名

お知らせコーナー

給水装置工事主任技術者試験準備講習会

開催日 9月13日(月)・15日(水)16日(木)

                  場 所 水道会館 3 階 講義室

 

 今年で第25回目となる給水装置工事主任技術者試験を受験される方のために講習会を開催しました。

 開催にあたり組合から開講挨拶の後、名古屋高等技術専門校でも講師をお願いしています名古屋市上下水道局さんに講師を務めていただき講義が行われ、3日目は模擬試験に受講生が取り組みました。

 今回の講習会には組合に所属している従業員及び愛管連加入の組合の従業員の皆さんが試験の合格を目指し、長時間にわたり真剣に受講されました。新型コロナウイルス感染予防の観点から受付で検温を実施し、密にならないよう対策を講じました。試験は10月24日(日)に行われ、11月30日(火)に合格者が発表されます。

青年部会コーナー

第173弾定期夜間勉強会

開催日令和3年8月18日

参加人数13名

技能開発部会・青年部会共催

 

 今回の第173弾定期夜間勉強会はおいしいコーヒーの淹れ方というテーマで覚王山にあるNOTE COFFEEさんをお招きして講習を開きました。

現場等で缶コーヒーを飲む機会は多いですが、本格的に淹れたコーヒーとなるとお店でしか…。

 いや!コロナ禍でおうち時間を持て余している今、思い切って美味しいコーヒーを自分で淹れて癒されるのもいいのではないかと企画しました。

 今回の講習では簡単ではありますが、豆の産地による味の違い、煎り具合での苦みの違い、水の違いによる味の変化等を試飲しながら分かりやすく教えて頂きました。

グアテマラ産で深煎りの苦いものが好きな人もいれば、私のようにエチオピア産で浅煎りの酸味が強いコーヒーを好む人もいることから、自分が好きな味を見つけられて面白かったです。

 あとお湯の温度、ドリップの時間での味の違いをわかりやすく丁寧に教えて頂き、とても役に立つ情報とともにサーバーをスケールに乗せてお湯の量を測りながらストップウオッチで摘出時間を調整して味に強弱をつけたり、ドリッパーのリブ(溝)によっても味が変化したり、コーヒーもお茶と同じように非常に繊細なものだと感じました。これほど繊細なものなら道具もこだわって揃えてみるのも面白そうです。

 教室内に漂ったコーヒーの香りだけでも少しばかり癒されました。

 今回の講習は私たちの仕事に直結するような内容ではありませんでしたが、少しでもコロナ禍の日常が豊かなものになるお手伝いができたかなと思います。

 

 

青年部会 港支部

中川秀郎

特別寄稿コーナー

避難と情報

名古屋市上下水道局中村営業所 所長 佐藤 正和

 

 日頃より名水協の皆さまにおかれましては、上下水道局の事業全般にわたりまして、ご協力をいただき、心より御礼申し上げます。6月末、管路ブロックの連絡会議にお越しいただき、短い時間ではありましたが、災害発生時の協力など貴重な意見交換ができました。大変有意義な場となりとても感謝しております。

 さて、この原稿を執筆していますのは7月の初めです。7月3日、静岡県熱海市で大雨によって土石流が発生し、多数の住民が安否不明になるなど大きな被害が出ました。同じエリアに非常に激しい雨が降り続く線状降水帯が形成されたことも発生の一因といわれます。「線状降水帯」という言葉を耳にする機会もここ数年の梅雨末期の豪雨では多く、その言葉が持つ警戒感も社会的に認知されるようになり、6月17日、気象庁は線状降水帯の発生を速報する「顕著な大雨に関する気象情報」の運用を開始したとの報道がありました。しかしこの情報、迫る豪雨の中で私たちがとるべき行動上たいへん有効な情報だと思ったのも束の間、一般の人には役立てることが難しくて誤解を生じさせかねない情報だともいわれ、やや期待薄になったのも否めません。それというのもこの情報は土砂災害や氾濫が起きる寸前、あるいは起きてしまってからでないと出ない情報で、情報が出されたとしても、その時はすでに手遅れの状態になってしまっていると受け止められてもやむを得ない情報とも考えられるとのことなのです。線状降水帯発生の予測がとても難しいのに加え、そもそも発表の条件が厳しいとのことで、さらには、「顕著な大雨」という言葉のほか「記録的短時間大雨情報」「土砂災害警戒情報」など似たような情報が多くてわかりにくそうなのも誤解を招く原因になっているそうです。気象庁も今後予測能力向上に向け、来年度には半日前から線状降水帯の発生確率を示すことを目指すといっています。一日でも早いその実現に期待しつつ、今は現状での活用を探るしかない気がします。

 一方、私たちの避難行動に関する情報として、5月20日に改正災害対策基本法が施行され、運用が開始されました。最大の変更点は自治体が発表する「避難勧告」と「避難指示」が「避難指示」に一本化されたことです。「避難準備・高齢者避難開始」も「高齢者等避難」に変更されました。これまでは「避難準備・高齢者避難開始」があり、そのあとに「避難勧告」そして「避難指示」といったように、「このあとは何々」と順を追って指示が出る感じだったのが、極端なはなし、高齢者など避難に時間がかかる人は「高齢者等避難」、そのほかの人は「避難指示」のタイミングでの避難しなさいということになり、追加の避難に関する情報は出なくなりました。避難行動をとる住民が情報の意味を直感的に理解できることを狙ったといわれます。

 6月29日に沖縄本島の豪雨で「顕著な大雨に関する気象情報」が出されました。しかし、土砂災害警戒情報が出た30分以上後でした。熱海市の土石流災害でも土砂災害警戒情報は出ていましたが、市は「避難指示」を出していませんでした。台風シーズンもまだ続くと思われます。情報を読み解き、身を守ること、その難しさをあらためて感じました。

筆の泉コーナー

釣りの師匠と仲間たち

名古屋市上下水道局 南部宝神水処理事務所 

                         事務係長 小泉 龍弘

 

 私の最大の趣味は釣りです。物心がついた頃、タコ糸にスルメを括り付け、公園の池でザリガニを釣っていたのが原点です。10歳くらいから今は亡き父とシラハエ釣りに行ったりしていましたが、いつの間にか釣りに行かなくなっていました。その後、入庁して最初の配属先で同じく新人のKくんと出会い、意気投合。釣りを再開しました。

 

 ある日、のちに私(たち)の釣りの師匠となる先輩技師・K2さんに誘われ、二人とも小さいながらクロダイを釣って大喜び。うまく嵌められました。数年後には同じ職場であったNくんも合流し、20年以上経つ現在も一緒に釣りに行っています。釣りへの情熱が一番高く、面倒見の良いKくん、釣りのセンスが抜群で、誰よりもやさしいNくん、そして、虫取り名人でもあり、創意工夫を凝らすK2さん、と個性豊かな三人とは、単に釣りを楽しむだけではなく、釣り場への車中で悩み事を聞いてもらったり、家族ぐるみで交流をしたりし、かけがえのない友人・先輩となりました。

 

 さて、当時の私は独身であり自由に釣りに行けましたが、結婚後はやりくりが難しくなったため、残念ながら今ではご一緒できなくなった師匠が、ほかにも3人います。

 

 二人目の師匠は、当時の配水部長のIさんです。尾鷲湾の自然豊かな中で船釣りを教えてもらい、初めて大きな真鯛を釣ることができました。

 三人目は、マルチな才能を持つM技師です。行き先が常に異なっていたため、毎回どこへ行くのかワクワクしながら参加していました。魚の美味しい食べ方も教えていただきました。

 四人目は、渓流釣りの技術はプロを超えている、と密かに思っているK3技師です。K3さんは、富山湾へ釣りに行った帰り、そのまま飛騨の山中で渓流釣りをする、という超アクティブな方です。そして、K3さんは私の恩人でもあります。K3さんが私の持病を気遣って良い病院を紹介してくださり、劇的に症状が改善しました。

 

 ちなみに、私には局内に弟子.....ではなく、大切な後輩が二人おり、数年に1回ですが、釣行しています。

一人は、「たつひろ」と呼んでくる、ふざけたUくんです。仕事に対する姿勢と同じく、釣りにおいても研究熱心。悔しいですが私より釣りが上手いです。

 もう一人は、仕事の面でも何度も助けてくれたHくんです。彼は、魚が釣れたとき、見たこともないくらい幸せそうな表情を見せてくれます。なお、彼は45cmのクロダイを、たった3回目にして手にした憎っくき男でもあります(私は15年かかりました)。

 

 この文章を書いていて、辛い時にも次の釣行を楽しみにして頑張れたり、そもそも会えること自体が楽しみとなるなど、本当に釣りを通じて支えられていたのだと、改めて感じました。しかも、すべて上下水道局を通じて出会った人たちに、です。

 

今は感染防止のため釣行を控えていますが、一日も早く、また釣り糸を垂らすことができる安心・安全な社会に戻ることを、心より祈っています。

談話室コーナー

木曽路の楽しみ

西支部・藤間工業 株式会社   

 藤間 鋼太郎

 

  私どもの会社は1969年に長野県木曽町に営業所を開設しております。当時は木曽駒高原の別荘地ならびにゴルフ場の開設時期であり、その仕事の関係で当地に営業所を開設いたしました。名水協も名古屋市水道の水源地である木祖村との縁は深いものがありますが、木曽町はその手前(名古屋寄り)に所在する人口1万人ほどの町です。

 私も仕事でも遊びでも木曽町にはよく訪れます。木祖村に関しては組合だよりにも「木祖村コーナー」があり周辺施設の紹介がされていますが、今回寄稿の機会を与えていただきましたので中央自動車道の中津川ICから木祖村の手前の木曽町までの国道19号(中山道)に沿った楽しみのご紹介をしたいと思います。

 名古屋から木曽に向かうには中央自動車道で中津川ICまで行き、そこから木曽川沿いに続く国道19号で北上します。しばらくすると馬籠宿への入り口が見えてきます。そこからは10分ほどで馬籠宿まで到着できます。後述する妻籠宿とともに木曽路では有名な古い宿場の佇まいを残した場所です。道中の時間があれば是非お勧めします。

 国道19号に戻って進むと今度は妻籠宿への入り口が見えてきます。その辺りから木曽川を挟んで左手に関西電力の読書(よみかき)発電所が現れます。この発電所は大正12年建設と大変歴史が古く、地上式発電所本館を中心とした設備が国の重要文化財や近代化産業遺産に指定されています。この辺りから木曽川はダム湖によって水を湛え深緑の美しい水面を楽しめます。

 木曽路(国道19号)は長野県最初の町である南木曽町に入っていきます。この町は2014年の豪雨により土砂災害に襲われましたが、今では復旧も進み以前の木曽川沿いの美しい風景を望むことができます。町の中で目に入ってくるのは桃介橋。木曽川をわたる木造の美しい吊り橋です。4月からは川沿いの広場に大きな鯉のぼりが掲げられ、元気よく泳ぐ姿を楽しめます。

 更に道を進むと今度は大桑村に入ります。ここには私の一番のおすすめスポットである阿寺渓谷があります。国道19号を左折し木曽川をわたるとすぐに阿寺川沿いの美しい渓谷に入っていきます。この渓谷の素晴らしさはその美しさにあります。「阿寺ブルー」と称えられる渓流の素晴らしい青さは、深みや流れ、また日差しによってその様相を変え、目を奪われるものがあります。車で15分ほど進むと駐車場と休憩所があります。ここからは自然歩道もありますので、車を降りて吊り橋をわたり、川と森の散策を十分に楽しんでください。車でさらに進むとキャンプ場も開設されています。7月後半から8月末までは車両規制が行われシャトルバスでの入場となりますのでご注意ください。この渓谷の美しさには圧倒されます。ぜひ訪れていただきたい場所の一つです。

 阿寺渓谷を越え木曽路をしばらく北上すると有名な寝覚の床に到着します。木曽川に花崗岩の美しい大岩がそびえる姿は、19号線沿いの展望台からも簡単に楽しめますので休憩がてら立ち寄ってみてはいかがでしょうか。ここには浦島太郎伝説もあり、当地では浦島太郎がここで玉手箱を開けて年老いたと言い継がれています。大相撲で活躍する御嶽海は寝覚の床のある上松町出身です。きっとこの雄大な景色に育まれ立派な力士に成長されたのでしょう。

 寝覚めの床を過ぎると、いよいよ木曽町に入ります。この町の福島地区(いわゆる木曽福島)には江戸時代から続く蕎麦屋、木曽の日本酒の銘店、木工細工の店などが木曽川に沿って並ぶ散策にうってつけの街並みがあります。木曽川のせせらぎを耳に、川の左に御嶽山、右手には木曽駒ケ岳を望みつつ木曽福島の町を楽しむことができます。

 木曽福島を越えると木祖村に入りますが、その手前に当社の営業所が所在する木曽駒高原の別荘地があります。別荘地の入り口にはゴルフ場もあり、夏には名古屋から避暑で訪れる人々のプレーで賑わいます。開田高原からのおいしい新鮮なトウモロコシも避暑に訪れる人たちを喜ばせます。また、この辺りは夜空の美しさも有名で晴れた新月の夜には天の川も楽しめます。車で山に向かい電灯の光が目に入らない場所まで行けば満点の星空を眺めることができます。お泊りの機会があれば、是非お愉しみください。

 取り留めのない文章となりましたが、ここまでが木祖村の手前、木曽町までのご紹介となります。この文が掲載される10月ごろにはもう観光シーズンも終わりが近づいていますが、来年こそは新型コロナウイルスも収束し、名古屋を支える木曽川の流れに感謝しつつ木曽路の旅行をまた楽しめることを期待しています。

消防コーナー

地震に備える65

名古屋市消防局OB 近藤 博

 

昭和20年(1945年)三河地震(2)

 

 引き続き、「三河地震」について考えていきたいと思います。

 今回から、「中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」報告書1944

東南海地震・1945三河地震 平成19年3月」の報告書及び愛知県防災会議地震部会報告書から、地震被害をみていきたいと思います。

 

○ 三河地震(その2)

3 地震の特徴

  上記専門調査会報告書は、三河地震の特徴として次の5つを挙げています。   (1)明瞭な地表地震断層が出現した

「地表地震断層」とは、地震時に断層のずれが地表まで到達して地表に

ずれが生じたものを言います。

 三河地震では、地震発生に伴ない岡崎平野から三ヶ根山地、蒲郡市に至

る二つの断層(横須賀断層、深溝(ふこうず)断層)に沿って、及び其の延

長上に約28Kmの長さにわたり明瞭な地表地震断層が出現しました。

 岡崎平野南部から南東方向に三河湾までの断層がずれ、西側及び南側が

隆起し、其の最大上下変位差は2mであったとしています。

 なお、現在「深溝断層」(額田郡幸田町深溝)は、昭和50年(1975年)

に愛知県の天然記念物に指定され、地震直後の状態に戻されて保存されて

います。

 

(2) 前震が多数あった

 昭和20年(1945年)1月11日頃から宝飯郡形原町・西浦町を中心に多数の地震が発生しています。当時の中央気象台の地震観測網によって観測

された地震は、14回記録されています。

  1月11日  有感地震 6回  無感地震 6回

  1月12日  有感地震 なし  無感地震 2回

 前震としての地震は、1月11日に集中しており、宝飯郡形原町(現蒲郡

市形原町)、塩津村(現蒲郡市)、西幡豆町(現西尾市)、西浦町(現蒲郡市

西浦町)などでは音を伴なった地震が多数あったが、戦時中の事でもあり、

大砲の音だと思われていたようで、地震とは思われなかったと記していま

す。

 併せて、下記報告書は「形原町では町の西北に当たる三ヶ根山方面に、

西幡豆町では海のほうから、それぞれ音を聞いているが、これは震源が近

距離にあることを示しているといえよう」と述べています。

 

(3)余震活動が活発である

 三河地震には多くの余震が伴ないました。1月13日以降1カ月間の余震

回数は、有感196回、無感718回を数えています。

 「余震は1月中に855回発生したが、有感地震が1日10回あったのは本

震後3~4日間だけで、その後は減少した。2月に入ってからは余震活動は

かなり低下した。余震のうち最大のものは1月16日22時37分頃に発生し

たもので、本震後91時間(3日と19時間)経過している。最大余震の規模

は6.4であるから、本震との規模差は0.5である」とし、本震発生後も活

発な余震活動があり、規模の大きな余震もあったと述べています。

 なお、本報告書は本震の規模をM 7.1としていますので、「最大余震の

規模は6.4」「本震との規模差は0.5である」との記述は整合性が取れない

ように思いますが、単純ミスなんでしょうか。よく分りません。

((2)の後段及び(3)出典 「昭和20年1月13日三河地震の震害と震度分

布」愛知県防災会議地震部会 飯田汲事 昭和53年2月)

木祖村コーナー

木祖村だより

事務局だより

事務局だより

 物議を醸した東京オリンピックは閉幕し、8月末からパラリンピックが開催されています。

今日この瞬間を目標に、ハンデを背負いながら、血がにじむ思いで自己研鑽に努めてきたアスリートの姿は、先の見えないコロナ禍で疲弊している私たちに、勇気と感動を必ずや与えてくれるでしょう・・・

 さて、7月1日から2か月近く、西日本から東北にかけて17府県にも及ぶ地域で、記録的な大雨となり、土砂災害や河川の氾濫により、甚大且つ深刻な被害がでました。

 被災をされた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

 地球温暖化の影響で水災害は激甚化・頻繁化しています。

 我々一人ひとりの防災・減災への意識は益々重要性を増しているのです。

 収まらないコロナ禍に自然災害・・世界を見渡せば、フランス、イタリア、ギリシャなど地中海沿岸での異常な猛暑による山火事・・毎日暗いニュースが一面を飾っています。

私たちの住む世界は今どっぷりと負のオブラートに包まれている気がしてなりません。

この状況から、いつ抜け出せるのでしょうか?残念ながら、それは誰にもわかりません!

 今は亡き若き天才、藤村操は、万有の真相はただ一言にしてつくす、曰く「不可解」と断言しています。一日も早く健康あふれる平穏な日々に戻りますように、祈るばかりです。

                                 Y・M