『Butterfly of Spring color』第33回フォトコンテスト入賞 撮影:安井管工業㈱ 水野 博子氏

『Butterfly of Spring color』第33回フォトコンテスト入賞 撮影:安井管工業㈱ 水野 博子氏

名古屋の風景

四間道

吉田 信彦 氏 (水道組合)
吉田 信彦 氏 (水道組合)

慶長15年(1610年)に名古屋城築城と共に始まった清須越しにともなって商人達がこの地に住み着いて作られた商人の城下町として始まり、最初の「名古屋」の街の誕生となった。元禄13年(1700年)の大火で1600軒余りが焼失しその後、尾張藩4代藩主徳川吉通は、堀川沿いにある商家の焼失を避けるために、中橋から五条橋までの道幅を4間(約7メートル)に拡張したのが始まりであり、このことから四間道と呼ばれるようになったという。

会議コーナー

臨 時 ・ 定 例 理 事 会

臨時理事会風景
臨時理事会風景

理事会風景
理事会風景

1.開  催  日  時

  臨時理事会   

   4月22日(月)午後3時

  定例理事会     

   5月  8日(水)午後3時

 

1.開催場所   水 道 会 館

 

1.理事定数   17名

 

1.出席理事   17名

お知らせコーナー

第3回名水協防災訓練(1)

 5月17日(金)に名古屋市上下水道局技術教育センターにて「いざという時のために」をテーマに名水協主催、名古屋市上下水道局共催による第3回名水協防災訓練を行いました。

 防災訓練では穂刈理事長より開会あいさつが行われ、名古屋市上下水道局局長の宮村喜明様より開会あいさつの後、研修担当である防災事業部会長の細田理事より訓練内容の説明が行われました。訓練内容としては仮設給水栓設置訓練、実際にタンク内に水を半分程度入れて揺れや制動距離の違いが体験できるよう青年部による給水タンク運搬訓練が実施されました。中でも多くの参加者が実際に体験できるよう仮設給水栓の設置訓練では5班に分けて行いました。

 最後に名古屋市上下水道局次長 岩間千晃様より訓練講評をいただき無事に防災訓練が終了しました。なお、訓練参加者は寄託工事店を含めて150名でした。

前日ミーテイング
前日ミーテイング
穂刈理事長開会あいさつ
穂刈理事長開会あいさつ

名古屋市上下水道局 局長 宮村 喜明 様 開会あいさつ
名古屋市上下水道局 局長 宮村 喜明 様 開会あいさつ
訓練説明
訓練説明

お知らせコーナー

第3回名水協防災訓練(2)

<防災訓練風景>

開会式風景
開会式風景
仮設給水栓設置訓練①
仮設給水栓設置訓練①

仮設給水栓設置訓練②
仮設給水栓設置訓練②
給水タンク運搬訓練
給水タンク運搬訓練

仮設給水栓設置訓練②
名古屋市上下水道局 次長 岩間 千晃 様 訓練講評
給水タンク運搬訓練
宇津山副理事長閉会あいさつ

青年部会コーナー

第158弾定期夜間勉強会

開催日 平成31年4月17

参加人数 26

技能開発部会・青年部会共催

 

 今回の定期夜間勉強会は地域環境福祉事業協同組合(J-LEC)を講師として招き「外国人材の受け入れ」をテーマに開催しました。

在留資格は、出入国管理及び難民認定法により規定され、滞在の目的や期間が定められて

いる中にも、就労が認められている資格、認められていない資格、身分・地位に基づく資格

があり、その中にも業種別にいろんな種類があることを教えて頂きました。

外国人技能実習制度では受け入れを希望する日本企業の代表者が現地へ直接面接に行くことや、3年間(最長5年)滞在できる仕組み、受け入れ出来る職種、期間、人数枠が決まっているなど、入国までには半年強かかる事、労働者ではなく技能実習生であるというのがポイントになるそうです。

外国人は、3年間普通に働けると思っていましたが実習生は滞在中に1年目・3年目に試験を受け、合格できれば最長5年滞在でき不合格なら帰国しないといけないということを初めて知りました。

今年の4月に制度の改正がされ、一定の専門性・技能を有し、即戦力となる外国人材を受け入れる為の特定技能という在留資格が増えた事で、受け入れ企業の人材確保が出来る様になったとのことでしたが、私たちの配管工としては、まだ技能実習生としてしか受け入れ出来ない状況とのことでした。

今後も様々な内容で開催しますので皆様の御参加をお待ちしています。

 

                     青年部会 中川支部  村上洋平

 

筆の泉コーナー

沖縄の思い出

 名古屋市上下水道局 守山営業所

主事 鈴木 桂子

 

沖縄の大敵である台風。夏になると多く接近するのは皆さんもご存知かと思います。私も昨年6月沖縄へ旅行に行ったとき、帰りの飛行機が台風で欠航してしまいました。今回はその時の様子を振り返ってみたいと思います。

 

6月28日(木)晴れ

沖縄へ到着すると、まだ6月なのに真夏のような暑さです。宿泊したのは自然の中にあり、リゾート感満載のホテルです。子供は到着するや否や虫取りに夢中。プールで少し泳いで、あぐー豚のしゃぶしゃぶを食べて楽しい旅の始まりです。

 

6月29日(金)晴れ時々雨

午前中はゴリラチョップと呼ばれるビーチでシュノーケリングをしました。きれいな魚がたくさん見られて子どもは大はしゃぎでした。その後は美ら海水族館に行きました。ベンチで雨宿りしていると、台風が発生したらしいという会話が耳に入りました。天気予報を確認してみたところ、新たに台風7号が発生して2日後には沖縄に接近するというのです。その時は、まさか私たちが乗る予定の飛行機が欠航するなんて思いもよりませんでした。

 

6月30日(土)晴れ時々雨

朝からシーカヤックツアーに参加しました。途中雨が降ったりもしましたがカニやシオマネキを見たり、マングローブの林を抜けたりと自然を満喫できました。

 

7月1日(日)曇りのち暴風雨

帰りの便は午後発の予定でした。午前中は買い物でもしようかと相談していると、夫が「飛行機が欠航になった」と大騒ぎ。航空会社への電話もつながらず、個人旅行のため頼れる旅行会社もありません。その場はまず空港へ向かうことにしました。到着すると人、人、人の大混雑。よく分からないまま航空会社のカウンターの行列に並びました。結局3時間並んで2日後の便に振替手続きは完了。次はホテルの予約です。那覇市内の主要ホテルはどこも満室で、予約できたのはゴルフ場に隣接する海沿いのホテルでした。ホテルに到着するころには風と雨も強くなり、飛ばされそうになりながら入り口にたどり着くと、ベニヤ板で閉鎖されていて『入り口こちら→』と書かれた小さい扉から中に入りました。フロントでは「停電する可能性がありますのでご了承ください」と言われて、不安いっぱいでした。停電はしませんでしたが、建物が飛ばされるのではというくらいの風と激しい雨が続き、怖かったです。窓から見える海は大荒れ、ベランダでは雨宿りしていたハトが吹き飛ばされていました。

 

7月2日(月)曇り

早い便に振替できたので、幸運にも1日遅れで名古屋に帰ることができました。そのときは本当に大変でしたが、珍しい体験ができたと思うので今となってはよい思い出です。

 

【今回の教訓】

  台風が接近していたらこまめに状況を確認する。

②早めに別便の手配をする。

③飛行機が欠航したら早めに宿の予約をする。(海辺のホテルはNG)                           

談話室コーナー

私の九分九厘

       瑞穂支部・大曽根水道工業 株式会社                         

                    永 田 理 絵

 

名古屋市で「大曽根」と聞くと思い浮かぶのは北区や東区の町名である「大曽根」ではないでしょうか。

私は瑞穂区の水道工事店で大曽根水道工業株式会社と申します。

会社がある瑞穂区内で初めてお邪魔するお客様には「遠い所からいらっしゃったのね。」北区東区方面のお客様には「会社から近くて良いでしょ。」とお言葉を頂戴します。

「区内から参りました。」「会社は瑞穂区です。」と回答しますと「え?!どうして瑞穂区で大曽根水道なの?」とほぼ必ず質問をされます。

「やっぱり地名の方が市民権を得ているもんなぁ。」と思いながらいつも通りに答えます。

「大曽根は苗字です。」

「へぇー、そうなのぉ。」

「細かく申し上げますと、私の曽祖父である先代の苗字が大曽根なのです。曽祖母、祖父、父、私と大曽根のバトンを繋いできております。」

「でもあなたの苗字は永田じゃない?」

「祖父の苗字が永田で、結婚して祖母の家業を継いで会社名は先代の時のままで現在に至っております。」

この会話でお客様の疑問は解決します。

また、不安混じりに「水道屋さん頼んで女の人って初めてだわ」とお言葉を頂戴します。

「何年くらいこのお仕事されてるの?」

「高校卒業してからなので十何年くらいですね。」

「あら、もうベテランね。女の人なんて初めてだから最初びっくりしちゃったわ。今は女の人も何でもやる時代なのね。お仕事頑張ってね。」と最後には応援の言葉をかけて頂けます。

このように私が工事でお邪魔した時のお客様から頂く声の九分九厘をご紹介させて頂きました。

同業者の方からも会社名に関しては同じような質問を頂いたことが何回かありますのでこの文章を読んで「苗字なんだ。」と納得して頂けたと思います。

最後までお読み頂きありがとうございました。

 

 

消防コーナー

地震に備える37

名古屋市消防局OB 近藤 博

 

昭和19(1944)東南海地震(9)

 

今回から、「中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」報告書1944

東南海地震・1945三河地震 平成193月」の報告書を中心に、他の報告書も

参照しつつ、被害の大きかった愛知県・三重県・静岡県の被害の実態を順次みていきたいと思います。

 

○ 愛知県の被害(その1)

 

死者(行方不明含)

負傷者

住 家

非 住 家

全 壊

半 壊

全 壊

半 壊

438

1,148

6,411

19,408

10,121

15,890

(出典 「昭和19127日東南海地震の震害と震度分布」愛知県防災会議

 飯田汲事著 昭和523月 P9

1 被害の特徴

愛知県では、438名の死者を出しており、負傷者、家屋の全壊・半壊を見て

も東南海地震では最も大きな被害を記録しています。

 しかし、地震動の強さを見ると、家屋に甚大な被害をもたらす震度6や震

度7といった市町村は、それほど多くはありません。家屋全壊率30%以上で

ある「震度7」と判定されたのは、幡豆郡福地村(現西尾市)だけです。そ

れに次ぐ「震度6~7」と判定された場所は半田市のみです。名古屋市でも、

埋立地の多い港区と南区は震度6と判定されていますが、それ以外の区は、

震度5~6と推定されています。

 市町村単位で死者を見てみますと、確かに震度7と判定された福地村(現

西尾市)は21人の死者をだしていますが、それ以上に半田市(188人)と名

古屋市南区(91)の2市区の犠牲者が際立って多くなっています。この2市

区では、いずれも工場建屋が倒壊して1ヶ所で多数の死者を出しており、こ

うした被害が愛知県における人的被害の特徴といってよいと思います。

 

 半田市では中島飛行機製作所・山方工場で、153名の方がなくなっています。

この工場は現在の半田市役所付近にあったもので、阿久比川河口の埋立地で

ある山方新田にあり地盤が軟弱な土地に立地していました。

この工場はもとは1902年(明治35年)頃に建造されたレンガ造の紡績工場

(旧東洋紡績知多工場)であったものを、太平洋戦争末期に、軍用飛行機の

生産拡大のため航空機生産工場として転用した工場です。そのため広大な作

業空間が必要であったことから、紡績工場時代にあった内部の屋根支柱を全

て撤去し、軍事機密保持のため出入口を一つに絞り、更にその内側には、戸

を開けても中が見えないように衝立が設置されていました。

 そのため、地震に気がついて外へ出ようとした人が1ヶ所の出入口に殺到

し、団子状態になって脱出できないうちに、外壁のレンガが崩れて下敷きに

なり多くの犠牲者を出す結果になってしまいました。

 名古屋市南区の三菱重工業道徳工場では64名の方がなくなっていますが、

この工場も中島飛行機製作所・山方工場同様、戦時中になってレンガ造の紡

績工場(旧日清紡名古屋工場)を買収・改造して作られた工場でした。

 

上記「愛知県防災会議 飯田汲事著 昭和523月」の報告書では、半田

市と名古屋市南区の工場で犠牲になった人々の内訳を次のように記していま

す。

半田市の中島飛行機製作所・山方工場の殉難者は「合計153名で、その内

訳は動員学徒96名(半田高女29名、京都三中13名、半田中学3名、半田工

4名、半田小6名、亀崎小2名、乙川小1名、岩成小1名、豊橋高女23名、

福井商業7名、愛知高実習女3名、東浦片葩小3名)、一般従業員37名、徴

用工17名、挺身隊3名である」

 名古屋市南区の三菱重工業道徳工場については「逃げ遅れた動員中の女子

学徒の多くは死亡した。その死者数は挺身隊数名を含め64人である」と述べ

ています。

 

 勤労動員学徒に小学生まで含まれていたことに、まず驚きますが、東南海

地震により建屋が倒壊した工場で犠牲になった人の多くは、学徒動員中の児

童・生徒であり、しかも女子が多かったことがわかります。

 

木祖村コーナー

源流の味!とうもろこしふるさと便

編集後記

編集後記

5月17日に名水協の第3回防災訓練が上下水道局の技術教育センターで実施されました。

訓練のメインテーマを「いざという時のために」として、「仮設給水栓の設置」訓練及び「給水タンク車の運転」訓練を行いました。

今回は、発災時の応急給水活動を中心としたことから、上下水道局との協定に基づき、仮設給水栓の寄託を受けている工事店さん及び青年部の皆さんに参加していただきました。また、前2回同様、上下水道局に共催していただいたことから、宮村上下水道局長様、岩間次長様はじめ多くの職員の皆さまにもご参加いただきました。

当日は、天候にも恵まれ、穂刈理事長、宮村局長の開会挨拶に続き、訓練に入りました。

仮設給水栓の設置訓練では、はじめ設置に戸惑うような場面も見受けられましたが、訓練が進むにつれてスムーズに行うことができていました。なお、設置後の残留塩素の検査では、なかなか残留塩素が確認できなかったことから、実際に設置する場合には相当量を放水する必要があることが分かりました。併せて、昨年から始まった「QRコード」を使った応急給水施設の開設状況の報告訓練も行い、実際に上下水道局ホームページに反映されていることの確認も行いました。

給水タンク車の運転訓練では、給水タンクに水を入れた状態での運転を技術教育センター構内で行いました。短い距離でしたが、普段とは違う運転の感覚を多くの方に体験していただけたと思います。

参加された皆さまのご協力により、事故やトラブルもなく順調に防災訓練を終えることができました。今回の訓練では、名水協の結束力、技術力を上下水道局の皆さまに見ていただくことができたと思っています。ありがとうございました。

引き続き、名古屋市総合防災訓練や学区での防災訓練などに参加することで、名水協の防災への取り組みをPRしていければと思いますので、ご協力をよろしくお願いします。

(T.T)